海外旅行前の予防接種相談のポイント

 海外での滞在中、旅行者はその国や地域に存在する感染症にさらされます。このため、感染のリスクに対し、事前に適切な予防接種を行うことが望まれます。
 本稿では、海外渡航者の相談を受ける医療関係者や旅行関係者向けに、海外旅行前の予防接種相談のための知識を概説しました。

●入国規制となるワクチン : 黄熱ワクチン
 入国のために接種が義務付けられているワクチンは、黄熱ワクチンのみです。黄熱の流行国に入国するときと、黄熱流行国を出て次の国へ入るときに、予防接種証明書の提示が求める国があります。詳しくはWHO発行のInternationalTravel and Healthに記述があります。流行地域地図を図1に示します。渡航先の大使館や接種機関である検疫所にお尋ねください。

 このワクチン接種要求は、渡航者により黄熱が持ちこまれることを防ぐための規制ですので、証明書を持っていない場合入国できない場合があります。また、流行地への渡航では、要求の有無に関わらず接種が勧められます。事実、アマゾン地域では黄熱が散発的に発生しており渡航者への接種が推奨されていますが、非流行地からの入国の際には義務づけられていません。そして、未接種の渡航者が黄熱に感染し死亡する例が時々報告されています。要求の有無に関わらず、流行地への渡航であれば接種することを勧めます。
 接種方法は、一回量0.5mlを1回皮下に注射します。成人も小児も同量です。
 黄熱ワクチン接種スケジュール上の注意点としては以下の点があります。
1.生ワクチンなので、接種後1ヶ月は原則として他のワクチン接種を避ける。ですから、出発までに時間が少ない場合には、不活化ワクチンなどを先に接種する配慮が必要です。
2.接種時に証明書が交付されますが、この証明書は接種10日後から10年間有効であること。ですから、要求国へ入国する10日以上前に接種を行う必要があります。また、接種当日に発熱など体調がわるいと接種できません。また、接種者の1割程度に、接種後1週間程度に発熱、倦怠感などの副反応がみられます。できれば出発の3週間以上前の接種が勧められます。有効期間が10年間と長いので、早い分には問題ありません。
3.コレラワクチン接種後の黄熱ワクチン接種は3週間間隔をあける。ワクチンの相互作用による効果の低下が報告されているためです。
4. 国によってはビザ取得手続きの際に接種証明書の提示を求められる場合があります。ですから手続きのデッドライン以前に接種する必要があります。
5. 接種機関が限られているため、近隣の接種機関と接種日を確認します。

●海外での就学・就職とワクチン
 海外留学などで渡航先のコミュニティに入る際に、麻疹やポリオなどの接種証明を要求される場合があります。定期予防接種で接種した記録が残っていれば、これを翻訳した翻訳証明をつけることで条件を満たすことができる場合もありますが、日本と欧米の定期予防接種種目や接種回数の違いのため追加接種が必要になったり、接種記録の紛失、未接種などのため改めて接種が必要になる場合があります。具体的には、日本ではポリオは2回だが欧米では4回以上、日本ではMMRワクチンは扱われないが、欧米では接種されている、などです。
 これとは逆に、接種しているために問題になることがあるのがBCGです。BCGは結核に対するワクチンで、ツベルクリン反応は結核に対する免疫の検査です。南北アメリカ諸国では、BCG接種は行っていません。これは結核が少ないこと、ツベルクリン反応を結核感染のための検査と考え、感染が判明したら治療することで対応するとの考えによります。これに対し、日本ではツベルクリン反応が陽転するまでBCGを接種しますので、ツベルクリン反応が陽性になり、現地の健康診断で結核感染者と誤解されます。必要なら「BCG接種を行いツベルクリン反応が陽性であること、胸部レントゲン写真などから結核の所見が認められないこと」を示す診断書を作成することが望まれます。

●途上国渡航での予防方法と予防接種
 WHOによる途上国渡航の際の各種感染リスクの目安を図2に示します。


 もっとも多いのが下痢症です。下痢症のリスクを減らすには、火を通したもの、皮をむいたばかりの果物、工場で殺菌処理された缶や瓶につめられたものを食べるようにして、水道水や水道水から作った氷は避けます。また、保存の悪い乳製品や卵料理など、日本でも腐りやすいものは避けた方が無難です。
 旅行者は、これを食べたら絶対駄目、これは絶対安全、という極端な判断をしがちですが、同じ料理でも衛生的なレストランと屋台では衛生度が異なりますし、同じ屋台でも火を通した料理と生ものでは衛生度が異なります。病原体の摂取量が同じでも、体調の善し悪しなどにより感染したりしなかったりします。胃の切除や、胃潰瘍により胃酸分泌を抑制する薬を飲んでいると、感染しやすくなります。
 また、生水を飲むことをおそれるあまり、水分摂取量が減り、脱水や循環器異常を来しては逆効果です。高齢者の中にはコレラへの恐怖心が強い人がいること、循環機能が落ちてきていることなどから、過度の飲食制限の強調には注意が必要です。実際に、ツアーコンダクターから、水道水は絶対に飲まないように言われ、自分ではミネラルウォーターを確保できず、ホテルの冷蔵庫のミネラルウォーター一本だけで我慢していた旅行者を経験しました。アンコールワットの遺跡観光などで、あちこち歩き回るのに、水が入手できずに脱水になる人がいます。
 また、下痢をしたときには断食する人がいますが、これも好ましくありません。腸での水の吸収は、塩分と糖分が必要です。スポーツドリンク、オレンジジュース、コーラなど、塩分と糖分を含む飲み物を飲む方が吸収が水分が吸収されます。
 防虫も大切です。日本では蚊に刺される問題はかゆみと化膿程度ですが、熱帯地域では時としてデング熱、各種脳炎、マラリアなどを媒介します。蚊を完全に防ぐことは不可能ですが、部屋を開放せず、網戸や蚊帳、殺虫剤、防虫剤などを使い、蚊に刺されることを防ぎます。また長期滞在の場合には、家の周辺の水たまりを処理することで蚊の発生を防ぐことも重要です。

● A型肝炎
 食べ物から感染するリスクが比較的高く、ワクチンで予防できる疾患です。途上国の人は幼少時に自然感染し100%免疫を持っていますが、日本では戦後に急激に衛生度が上がったことにより50歳以下の人はほとんど免疫を持ちません。特に6ヶ月以上の長期滞在では是非勧めます。
 1994年にA型肝炎ワクチンが日本で認可され、以後、効果が短期間で不確実なγグロブリンはこのワクチンに取って代わられました。
 A型肝炎は一般に致死的ではなく、保存療法で回復すること、ワクチン単価が比較的高いことから、感染のリスクを受容できる場合には接種しないことも選択肢になります。
 A型肝炎ワクチンは、2〜4週間間隔で2回、6ヶ月後に1回接種が基本接種になりますが、最初の2回で防護免疫が獲得され、6ヶ月の接種により有効期間が3年以上になります。
 小児は、A型肝炎に感染しても比較的軽症だといわれていること、日本ではワクチンの適応が16才以上であることから、積極的には接種を勧めません。しかし、低開発国で医療事情が劣悪な場合には、接種の検討も必要になります。

● 破傷風
 渡航先での渡航目的や活動内容により、怪我をするリスクの高い人や、破傷風に感染したときに適切な医療機関での治療を期待できない地域に渡航する人には接種が勧められます。
 破傷風ワクチンは、基礎接種を受けていれば1回の追加接種で約10年間免疫が持続し、その後は10年ごとに一回追加することで免疫が維持されます。外傷を受けるリスクが高い場合には5年ごとに追加接種が勧められます。
 過去の接種歴がわからない場合、小児期を日本で過ごした人の場合は定期予防接種制度を参考に判断し、通常22才以下ならDPT接種後10年以内なので接種不要、23才以上なら1回追加接種を、34才以上はDTPワクチン開始以前なので3回接種を勧めます。

● 狂犬病
 日本では撲滅されて久しく、すでに狂犬病予防の知識すら忘れ去られた感のある疾患ですが、欧米をふくむ大陸では存在する疾患です。狂犬病が存在しないのは日本、ハワイ、イギリス、オーストラリア、北欧3国を除き、全世界に存在します。
 予防は野生動物との接触を避け、手を出さないことです。ハイリスクの人はワクチンを事前に接種します。(暴露前接種)
 咬まれても、感染から発病までの間にワクチンを接種することで発病を予防できます。(暴露後接種) なお、渡航者には、「咬まれた場合にはまず洗う。次に病院で傷口の治療をして、破傷風と狂犬病のワクチンを打つ。傷口を口で吸い出してはならない」と
 しかし、いったん発病すると治療法はなく、ほぼ100%死亡します。
 このため、発病予防が重要になります。アジア・アフリカでの感染の主役は犬ですが、アメリカではアライグマやコウモリ、ヨーロッパでは狐が感染の主役です。またほとんどのほ乳類は狂犬病に感染し感染源になります。東南アジアで猿に咬まれる旅行者がときどきいますが、万一の感染リスクを考えれば狂犬病ワクチンの接種を勧めた方がよいでしょう。
 狂犬病の動物は、奇妙な吠え声で鳴く、意味もなくうろうろする、攻撃的になる、などの症状を示すため、行動のおかしな野生動物には近づかないことが重要です。また、犬を見て驚いて急に逃げ、犬に追いかけられて咬まれることがありますので、刺激しないように離れることです。
 動物を相手に活動する場合や野犬の多い地域に長期滞在する場合には事前に狂犬病ワクチン接種が推奨されます。
 暴露前接種の方法は、国内で認可された方法は1mlを1回量として4週間間隔で2回皮下注射し、6〜12ヶ月後に1mlを追加接種します。なお、WHOでは初回接種を0日として、0,7,28日の3回接種法を勧めています。渡航先でのリスクリスクが高いが出発までに時間がなく渡航者が希望する場合には接種を検討します。

●ポリオ
 現在、ポリオはWHO主導で世界規模の撲滅活動が行われており、南北アメリカではすでに撲滅宣言がだされ、日本を含む西太平洋地域でも撲滅宣言が出る見込みです。他の地域も、急激に患者発生数が減少しています。現在の主なリスクエリアは、南アジアとアフリカです。日本では昭和50年〜52年生まれの人が受けたポリオワクチンは効果が低かったため、流行地に渡航する場合には1回追加接種が推奨されています。
 また、日本での接種スケジュールは2回で他の国より少ないので、留学先などから要求された場合接種が必要になります。
 ポリオ接種の問題は、接種機関の少なさです。現在日本では一人用アンプルが市販されていないため、随時接種に対応できる医療機関は限られています。
 また、生ワクチンなので、接種後1ヶ月は他のワクチンの接種を避けることが勧められますので、スケジューリングには注意が必要です。

●B型肝炎
 先進国ではB型肝炎は性行為感染や麻薬注射が主で、一般旅行者のリスクは低いといえます。低開発国では、病院で注射針を使い回すことが日常的に行われていることがあり、院内感染の可能性が無視できません。低開発国に長期滞在する場合にはB型肝炎の接種も勧められます。

●日本脳炎
 アジアを中心に流行している脳炎です。豚が宿主で蚊により感染しますので、養豚が盛んな農村地域に長期滞在する場合にリスクがあります。接種方法は、1ヶ月間隔で2回、6ヶ月後に1回接種です。渡航までに時間がない場合、都市部滞在の際のリスクは必ずしも高くなく、また日本人は定期予防接種で予防接種歴のある人が多いことから、渡航者と相談の上で1回〜2回接種することが多いです。

●マラリア
 マラリアにはワクチンはありませんが、熱帯への旅行者への説明のポイントとして重要です。
 マラリアで重要なのは、急性の経過を取り放置すると致死的な経過を取る熱帯熱マラリアです。発病後5日以上放置すると生命予後が悪くなるとの報告があり、5日以内に抗マラリア薬による治療を開始することが重要です。潜伏期間が1〜6週間ありますので、短期旅行の場合帰国後に発病する場合もあります。
 日本人は通常、「熱がでたら数日様子を見て、熱が下がらなければ病院受診。医師に熱が出たことだけ告げればよい」と考えがちです。また、国内の医療機関では、マラリア流行地の渡航歴を知らなければ感冒薬を処方して数日様子を見るよう指示するでしょう。これが、マラリア患者の悲劇を招きます。
 熱帯熱マラリアの最大の流行地は西アフリカで、田舎だけでなく都市部でも感染のリスクがあります。その他流行地は熱帯地域全体におよびます。ついで、インドを含む南アジア、アマゾンでリスクがあります。
 一方、日本人が多く渡航するタイやシンガポールではリスクはほぼありません。ベトナムやインドネシアも観光地や都市部ではリスクはほぼありませんが、一般観光客の行かない地域にはマラリアがあります。詳しい分布はWHOのInternational Travel and Healthに国毎の記載があります。

● 乳幼児の予防接種
 まず定期予防接種を優先します。ついで、リスクに応じた予防接種を行います。

●スケジューリングと同時接種について
 先進国への短期海外旅行では、特に予防接種は必要ではないでしょう。時差や、大陸の水はミネラル分が多いため下痢しやすいことなどを説明します。
 途上国の観光地での短期滞在では、破傷風、A型肝炎をまず勧め、渡航先の行動パターンにより、動物と接するなら狂犬病、地方に滞在するなら日本脳炎、長期滞在ならB型肝炎などです。
 低開発国の長期滞在では、B型肝炎の重要性は増します。

 一般に渡航者が予防接種のために受診するのは渡航前1〜3ヶ月まえの事が多いため、リスクに応じた接種を行おうとすると、複数のワクチンを同時に接種せざるを得ません。
 海外では同時接種は一般的に行われております。日本でも、医師の判断により同時接種が可能です。右腕と左腕に1カ所ずつ2本とすると接種が容易です。
 以下では、生ワクチン以外を簡単のため不活化ワクチンと称します。
 生ワクチンは接種後1ヶ月は他のワクチンの接種をしませんので、通常、スケジュールの最後に来ます。生ワクチンと不活化ワクチンの同時接種は問題がないとされています。また、ポリオ経口ワクチンは同時接種しても問題ないとされています。麻疹、風疹、流行性耳下腺炎は海外では広く使われているように、同時接種して問題なく、さらに黄熱ワクチンも同時接種可能です。
 不活化ワクチンについては、ほとんどの日本のワクチンは4週間あけて2回接種で、渡航まで時間のない場合には最初の2回を接種します。

●予防接種機関の探し方
 全国規模の予防接種機関のデータはありません。また、規制により医療機関がワクチン接種種目を広告することは認められていないため、どの医療機関が対応可能かわかりにくい状況です。
 地域によっては、県医師会が調査をおこなっていたり、市町村がデータを持っていたりします。予防接種機関を探す方法には以下のようなものがあります。
1. 本書の巻末の予防接種機関リストから探し、電話で確認する。
 なお、全医療機関の調査ではなく、県によってはほとんどデータがありません。また、ワクチンの取り扱い状況は、市町村の委託により随時変化しています。必ず受診前に電話などで確認してから受診する必要があります。
2. 最寄りの医療機関に電話で問い合わせる。
 ワクチンを常備していなくても、取り寄せで対応できる場合があります。
 3. 市町村の保健センターに定期予防接種を行っている医療機関を問い合わせ、その医療機関に、任意接種を行っているかを問い合わせる。多くの定期予防接種機関では、旅行者の希望に応じワクチンを接種します。
4. 医師会に問い合わせる。 1999年に医師会でインフルエンザワクチンの在庫状況を全国規模で著刺した際に、県によっては他のワクチンの在庫状況も調査しています。

● 参考文献
 これらの情報の多くは、ホームページで、あるいは書籍として詳細が入手可能です。

(1) WHO International Travel and Health  http://www.who.int/ith/english/index.htm
(和訳:マラリア情報ネットワーク http://malaria.himeji-du.ac.jp/IPublic/malaria-net-j/home.html)
 前半で国ごとの黄熱予防接種証明書の要求とマラリアの流行分布と耐性に関する記述があり、後半には、ヨーロッパやアフリカなどの地域別の感染症リスクと、渡航者が気をつけるべき一般的な注意事項がまとめられています。ホームページと書籍があります。
 重要な疾患以外については感染症名のみの記載になっており、やや難解な部分があり、医療関係者向けです。
 情報は、毎年更新されています。
(2) CDC http://www.cdc.gov/travel
 アメリカ疾病予防センター(CDC) のホームページに、旅行者向けのホームページがあり、国別に、リスクの高い感染症に絞って注意事項をまとめてありますので、特定の国へ旅行する渡航者には便利です。平易な英語で記述されており参考になります。
 また、通称イエローブックと呼ばれる旅行医学の教科書がホームページで公開されています。これは医療従事者むけの旅行医学の教科書です。
(3) ProMED メーリングリスト http://www.fas.org/promed
 新興再興感染症発生に関する世界規模のモニタリングシステムです。世界中の参加者が、その地域での感染症流行発生を相互に報告しあうメーリングリストです。内容には曖昧なものや不十分なものも含まれますので、流行状況の正確な判断には必ずしも適しませんが、多様な情報が入手可能です。 専門家向けです。
(4) 厚生省検疫所 http://www.forth.go.jp
 日本語のホームページです。流行のトピックスや、国別に流行している疾患や予防方法に関する旅行者向けパンフレットがあります。旅行者向けにパンフレットを配る場合に便利です。また、ProMED各記事の概訳が掲載されています。
(5) JOHAC http://www.johac.rofuku.go.jp/Welcome-j.html
 海外赴任のための長期滞在を基本に各種情報を提供しています。長期滞在者向けです。
(6) JICA http://www.jica.go.jp/country/Index.html
 国際協力のための派遣者のための情報を任国情報として公開しています。
(7) 母子衛生研究会 http://www.mcfh.co.jp/worldinfo.html
 親と子の長期滞在のための情報が掲載されており、ワクチン接種についても詳しく掲載されています。
また、「海外に行く親と子の予防接種」というリーフレットを作成しており、このリールレットは非常に参考になります。
(8) 地球の歩き方「旅のドクター」
 一般旅行者向けです。